繊毛虫のアニメ批評ブログ

簡潔な作品論を定期的に投稿します。

『化物語』:夏の大三角

放送期間:2009年7月-2010年6月、全15話

制作:シャフト

監督:新房昭之

原作:西尾維新『化物語』(上下巻、講談社BOX、2006年)

 

 物語や筋書きが存在するにせよ、アニメの作品世界があくまで絵によって構成されるのだとすれば、『化物語』の世界は人間たちに対して徹底的的によそよそしいものとして立ち現れてくる。アナログで作画されているキャラたちの顔、特に口と目はしばしばクローズアップで映し出されるが、ピンクがかった内眼角、艶のある唇、肉の厚みを感じさせる口角はいずれも柔らかさを湛えており、それらは彼女たちの血肉の温もりを提喩的に感じさせる。その一方で、デジタルで作画されている背景は、教室であろうと道路であろうと書店であろうと誰かの部屋であろうと、常に無機的で徹底的にグリッド状に構造化されており、人を寄せ付けることもなければ——通行人や余分なキャラは一切描かれない——、光や空気の不規則な揺らぎをたゆたわせることもない。 

 プロットの中心要素である怪異も、そうしたグリッド的な、人間に対してよそよそしい世界の一部として登場してくる。忍野は、怪異は常に存在していると同時に存在していないと説明するが、阿良々木たちの前にそれ自体として(つまり、真宵やつばさや駿河の場合のようにキャラに半ば同化している場合を除いて)明確に姿を見せることはなく、断片や痕跡としてのみ現前する。そのような、脱存在的な怪異の様態は、ピクセルが成す幾何学的形状やタイポグラフィーの織り合わせとして、グリッド的な世界から半ばはみ出し、半ば溶け込むかのように表象されており、そのことはそれらがデジタル的な背景=世界の一部であり、それゆえに人間に対して非常によそよそしい存在であることを視覚的に示していると同時に、フォントとピクセルとその基礎をなすバイナリーコードから成る世界が、符号体系の切り替え次第で不可視なノイズをシグナルに、あるいは逆に、知覚可能なはずのシグナルを不可知なノイズに変えてしまい、場合によってはそうした切り替えに人間を巻き込んでしまう気まぐれで危険な場であることも示唆している。自らも部分的に怪異を宿している阿良々木——左目が前髪で隠れ、アホ毛がアンテナのように反応する彼のデザインのモチーフは、明らかに鬼太郎だ——は、そうした世界の不安定さから、周囲の人間をなんとか遠ざけておこうと奮闘するわけだが、日常的な場面において彼らが繰り広げる諧謔と機知と温かみに溢れた会話は常に、冷たく疎外的で恣意的な世界を背にしている。

 しかし、テレビ放送の際には最終回となった第12話では、そうした無機質でデジタル的な世界が、途方もなく美しく愛しいものへと一気に姿を変える。阿良々木を、長く暗く規則的な高速道路をしばらく走り、そこから少し歩いた場所まで夜のデートに連れ出した戦場ヶ原さんが、「私の宝物」として差し出す星空だ。あくまでグリッド的で計量的な平面にして空間である夜空と宇宙が、様々な星座と物語と重さと想いを読み込むことのできる目も綾な場に変容する——あれがデネブ、アルタイル、ベガ。